昭和の街に流れていた音
昭和も半ばを過ぎ、高度成長期を迎えていたころ。
街のあちらこちらには、いつも音楽が流れていた。
商店街やスーパーマーケットにはテンポの良いリズムが響き、
師走の12月ともなれば、あちらこちらからクリスマスソングがあふれ出した。
夜の街には、演歌、ムード歌謡、フォークソングといった流行り歌が有線放送から流れ、
テレビ番組の多くは、歌謡曲で占めていた。
洋楽ファンはこぞってラジオにリクエスト送り、
昼休みの中学校ではポール・モーリアやリチャード・クレイダーマンの旋律が流れる。
モノクロテレビやラジオから絶え間なく届けられるメロディーは、
私たちの記憶に、時代の“音”として深く刻まれていった。
―“音”は、まだ“街の空気”の中にあった。
“聴く音楽”の時代が始まった
1970年台。
それまでの「時代に沿い、時代を追いかける音楽」は、
「自分を反映し、表現する音楽」へと変化していく。
FM放送が始まり、本格的ステレオが家庭に広まる。
音楽は、より個的な体験へと変わっていった。
「好きな音楽を、もっといい“音”で聴きたい―」
「聞く音楽」から、「聴く音楽」への時代が静かに萌芽していった。
少年を虜にした“音の魔法”
当時、若者にとって情報源は何といってもラジオだった。
枕元のトランジスタラジオから流れる深夜放送。
軽快なDJのトークと心を揺らす洋楽やフォークソングの数々。
流れ出すイントロに、少年の胸は何度も高鳴った。
やがて、モノラルの音では物足りなくなり、
「もっといい音で聴きたい」と願うようになる。
ギターの弦の振動、ボーカルの息づかい、
そのリアルを求める欲望は膨らんでいく。
その昔、「三種の神器」と称されたテレビや洗濯機、冷蔵庫がいきわたり、
家電は“生活支える道具”から“暮らしを豊かにする楽しみ”へと変化した。
町の電気屋さんとは異なる大型家電量販店が登場し、
その一角に“オーディオ売場”があった。
アンプ、スピーカー、レコードプレーヤー、カセットデッキが所せましと並ぶ、
SONY、DENON、YAMAHA、ONKYO、SANSUI、AIWA、PIONEER、AKAI、VICTOR、TRIO、NAKAMICHI、TEAC…。
日本屈指の音響メーカーたちが技術を競い合い、理想の“音”を追い求めていた。
初めての相棒は「スーパースコープ CSR-4800」
1978年。
少年が初めて自分の部屋に迎えたのは米国MARANTZ社のステレオラジカセ
『スーパースコープCRS-4800』。
当時珍しかったダブルカセット搭載のその機種を、どういう訳か安く手に入れることができた。
お気に入りのアーティストの買う代わりに、レンタルで調達し、
オーディオを持つ友達に頼んで録音してもらったカセットテープ。
それは、どれも宝物だった。
ガチャリとカセットテープを差し込み、PLAYボタンを押す。
左右のスピーカーコーン震え、音が“再び生き返る”。
その感動が、少年のオーディオへの憧れをさらに強くした。
オーディオの“祭壇”をつくる
高校2年のころ。
小学校時代から貯めた郵便貯金に加え、学校には内緒で稼いだバイト代を握りしめて、
大阪の電気街・日本橋へ向かった
VICTORのアンプ、DENONのターンテーブル、AKAIのデッキ、
ONKYOのチューナー、そしてYAMAHAのスピーカー。
持てる資金をすべてつぎ込み、話の分かる店員さんの協力のおかげで
組み上げたラインナップだった。
重ねたコンポの配線と格闘し、壁際に並べた姿はまるで「祭壇」。
左右に配置した重厚な木製のスピーカーは立派な調度品だった。
かくしてその部屋は、少年だけの“コンサートホール”に変わった。
レコードに宿る“儀式”
数少ない手持ちのレコードは、擦り切れるほど聴きこんだ。
まずは手を洗う。静電気を取り払うためだ。
ジャケットからレコードをそっと取り出し、ブラシでホコリを払う。
ゆっくりとターンテーブルに乗せ、アームを上げ、ダイヤモンド針をそっと下ろす。
——「サッ」という音…。波打つ気配。
ギターが鳴り、ドラムが入り、ボーカルが息を吸う。
「再生」。
この“音”が出るまでの緊張の時間こそが、音楽を“味わう”ための前菜だった。
現在のストリーミング再生には、決して存在しないものだろう。
ステレオは“こだわり”であり、“誇り”だった
アンプに並ぶ無数のつまみ。
音のバランス自分の耳で確かめながら整えていく。
納得のいくチューングができた時は、友人たちを呼んでこう言った。
「このレコード、聴いてみてよ。」
ジャケットからレコードを取り出し、ターンテーブルにセット。
静かに針を下すと、少しの沈黙。
音が広がる瞬間、みんなの姿勢が少しだけ正される。
“聴く”とは、“向き合う”こと。
それは、厳かな儀式にも似ていた。
音楽を“携帯する”時代の到来
磁性体を塗布したテープに、“音”を電気信号に変えて記録する「カセットテープ」。
記録再生媒体として、扱いやすいこのカセットテープは、
70年代後半に全盛期を迎える。
クロムテープ、フェリクロムテープ、メタルテープ・・・
音質を追い求めた新素材が次々に登場していった。
そして1979年、 夏。
その携帯性を最大限に活かす機器が発売される。
SONYの『ウォークマン』だ。
音楽は「聞こえてくるもの」から「自分で聴くもの」へと
完全にシフトされた瞬間だった。
銀色の円盤が革命を起こす
1982年。
音楽を愛する者たちの目の前に、突如として現れた
—それが『CD(コンパクト・ディスク)』だった。
デジタル音響の幕開けである。
直径わずか120ミリの円盤に、12インチ(約30センチ)の
アナログレコードの一枚の音楽が収まるという。
しかも、キラキラとヒカル片面にだけに、だ。
そこには針を受け止める溝はなく、【A面】も【B面】も存在しない。
「いったい、誰がこんなモノを考え出したんだ!」
その答えは―日本の〈SONY〉とオランダの〈OHILIPS〉。
両社の共同開発によって、この小さな円盤は誕生した。
世界で初めてCDとして発売された、
ビリー・ジョエルのアルバム『ニューヨーク52番街』。
すでにレコードとして親しまれていたその作品が、デジタルの世界で蘇ったのだ。
都会的なアメリカン・ポップをクリアで正確な音が再現する。
ノイズのない、完璧なサウンド。
若者たちは、その迫力に驚き、そして少し戸惑った。
アナログレコードの温もりを愛し、針のノイズに耳を澄ませてきた若者にとって、
CDの登場は、まるで時代の【踏み絵】のようでもあった。
時の流れ― そして、ひとつのスピーカー

時代はめぐり、
若者は大人になり、夫になり、そして父になった。
仕事と生活の波にのまれ、気が付けば音楽と向き合う時間も少なくなっていた。
サイドボードの端に鎮座しているミニコンポから、
いつしか音楽が流れることもなくなっていた。
ある日、思い切ってスピーカーを替えてみることにした。
悩んだ末に選んだのは、英国TANNOY社のブックスエルフ型―
『Mercury mX1-M』。
高さわずか30センチ足らずの小さなボディーから繰り出される“音”は、
まるで、それまでとは違っていた。
13センチのウーファーが紡ぐ、厚みのある低音、
2.5センチのツィータが描く、澄んだ高音—
そのすべてが、部屋いっぱいに広がっていく。
目を閉じる。
忘れかけていた、あの空間が戻ってくる。
『Mercury mX1-M』。
この小さな相棒は、今でもあの頃の音楽たちを部屋いっぱいに届けてくれる。
つくりの良いスピーカーは、
音楽と一緒に、あの頃の自分までも
「再生」してくれる。
デジタルの海と、手の中にある音楽
最近の若者たちの音楽は、スマートフォンの中にあるらしい。
指でスルリと画面をなぞれば、お気に入りの音楽が、いつでもどこでも流れだす。
外部のノイズも遮断するイヤホン、完璧なハイレゾ音源。
それでも―“音”が手のひらと耳の中だけで完結してしますのは、どうにも寂しい。
狭い部屋で友達たちと一緒に音楽と向き合ったあの“儀式”は、そこにはもうない。
便利になりすぎたせいか、“音を聴く時間”の重みが、薄れてしまったのか。
若者たちへ―
音は、手のひらじゃなく、部屋いっぱいにあるもの
君たちが聴くプレイリストの中にも、きっと70年代の曲があるだろう。
もし機会があれば、その楽曲をレコードで聴いてみてほしい。
ジャケットを手に取り、レコードに針を落とす。
たったそれだけのことで、同じ曲がまるで違って聴こえるはずだ。
音楽は、データじゃない。
時間と空気と、聴く人の思いが混ざって初めて“音楽”になる。
だから―
たまにはスマホを閉じて、部屋の明かりを少し落としみなよ。
ターンテーブルの上で回るレコードを見つめてごらん。
静寂のあとに流れ出す音が、きっと君の胸を震わせる。
スピーカーのコーンが振動し、部屋の空気を震わせるんだ。
頬が、まつ毛が、耳朶のうぶ毛が、 “音”のすべてを感じとる。
少しずつ、すこしずつ部屋の温度も温まってくる。
それが、50年前の私たちが恋した“音”なんだ。
そのとき、君たちにもきっとわかるはずだ。
―音は、手のひらじゃなく、部屋いっぱいにあるってことを。

TANNOY
Mercury mX1-M



