『魔法の杖』。 その名は「スキャナー」

私は、人生のほんのひとときの時間を共にした書籍たちはすべて、「人生のガイドブック」、あるいは大切な「ともだち」として遇してきた。

紙の感触、インクの匂い、装丁の重み。
それらはすべて、一対一で向き合った、私と世界との「対話の記録」。
しかし、その「ともだち」の、あまりにも大きな集合体、
 …書棚に収まりきらない蔵書の山…が、いよいよ私に、非情な決断を迫った。

生き方を変えてくれたかけがえのない“思念の結晶”に対して、
ほとんど冒涜にも似た所業を正当化してくれた『魔法の杖』の話をしよう

これは、愛する「ともだち」をデジタルという名の“永遠の牢獄”へ送り込んだ、
私自身の救済の記録なのである。

宝物と化した積荷の、沈黙の反乱

「人は、読み終えた本の積み上げられた高さから世界を見渡すことができる」
という脳科学者 茂木健一郎さんの言葉は、読書を愛する者にとって、真実を突いた、どこか誇らしいフレーズだ。

確かに、人間が自らの経験のみで得られる知識や教訓には、物理的な限界がある。
人生百年時代とはいえ、限られた時間の中で「未知」を「既知」へと昇華させる手っ取り早いガイドが本という存在だとすれば、幼い頃から活字に親しむことは、この上ない財産となる。
幸いにも、茂木先生の薫陶を聞く以前から、私小説、推理小説、企業の興亡を描いた小説や、世界観を一変させる新書に至るまで、多種多様な本に親しんできた。

中でも、心を奪われ続けた歴史小説。
それは単なる物語ではなく、時代背景、土地、文化、そして何より人間の営みがある。
その壮大な「仮想現実」のページをめくるごとに、時空を超えた旅に浸る。
埋没することで遠い昔の空気や、人々の息遣いを肌で感じることができた。

それは知識の蓄積ではなく、「人としての生き方」を示してもらう伴走者との交流でもあったのだ。

読み終えた本は、転勤や引っ越しのたびに「大切な宝物」としてダンボールに詰められ、新たな住処の本棚に戻されていく。
しかし、増え続ける“ともだち”たちは、新しく誂えたはずの本棚をはみ出し、ついには部屋の隅で幾重にも積み上げられていくのだった。

この物理的な「重量」は、読書の喜びの陰で、私を抑圧する存在へと変貌していった。

地震の度に雪崩を起こす恐怖、隙間に溜まる埃が湿気を伴った古紙の独特の“匂い”。
もはや管理することを放棄せざるを得ない環境に迫られつつあった。

私にとっての読書は、一見ムダとも思える知識や知恵の蓄積であり、それは実際に歳を重ねて手に入れた経験と照らし合わせることができる「答え合わせ」の材料でもあった。その繰り返しで起こる「合点」や「疑念」こそが、人の厚みであり、人生そのものなのだ。
だからこそ、読みかさねた、あまたの蔵書は、やはり「人生のガイドブック」であり、
大切にすべき「ともだち」なのである。

物質的な「本」には価値があり、リサイクルされることも理解している。
だが、「ともだち」はリサイクルできない。

幾度か私は古本屋に「ともだち」を持ち込んだ経験がある。
そこでは、内容や込められた思念には一切触れることなく「ともだち」たちは冷徹に検品されていく。無機質な目で容赦なく店員が市場価値を値踏みし、決定した「換金価値を無遠慮に電卓の画面に提示する。

そのたびに、まるで自分の人生の一部に想像を絶する安価な値札が貼られたような、深い屈辱を覚えたのだった。
そんなふうに「ともだち」を貶められるくらいなら、自分の部屋に閉じ込めておいた方がマシだという、倒錯的な愛情に陥った結果が、この部屋はありさまでもある。

新世界への「鍵」と、愛着の背信

「本はやはり印刷物、紙に限る」。長年、そう頑なに思い込んできた。
紙のページを指で捲るあの行為。物語の展開や経過を左右のページの分量で推し測る。
五感のすべてで感じる体験は、そう簡単に手放せるものではない。

しかし、世の中は変わっていく。
もはや液晶画面は映像、動画のみならず、活字の分野を制圧してしまった。

スマートフォンやタブレットの普及は、文字文化そのものを変容させたのだ。
デジタルデバイス上で文字を読むという行為が、何の抵抗もなく受け入れられる時代である。私のような古い世代の人間にとって、この変化は、慣れ親しんだ「生活のリズム」と「価値観」を、根底から問い直すもとなった。

大切にしている「書籍」という愛すべき過去の物質を抱えつつ、「今」を含んだ未来を受け入れるべきかに懊悩していた私を救ったのが、ある日知った、「自炊(じすい)」という言葉である。

自らの手で書籍を裁断し、スキャナーで画像を取り込み、デジタルデータ化して保存するという「裏技」。

それは、電子書籍という既製品を受け入れるのではなく、愛する「ともだち」の魂だけを抽出して、新しい器に移し替えるという、私にとっての救済の道だった。
物理的な制約を打ち破り、未来への適合を可能にする「魔法」。
それが、スキャナーを用いて書籍をデータ保存するという新世界への「鍵」であり、同時に、愛チャックある紙の姿を否定する「愛の背信」でもあったのだ。

背表紙の犠牲と、データの不死

そして、私は決断した。
この「魔法」を実現するため【RICOH スキャンスナップ ix1600】を購入した。
一度に数十枚のページを高速で読み込み、歪みなくデータ化する、まさに時代が生んだ錬金術の道具である。

ただし、その「魔法」を発動させるには前段階で絶対に必要な行為があった。
私にとってその行為の実行こそが、過去の形骸への決別を意味する

「裁断機」、テコの原理を使った大きな裁断機は、一冊の本を、二度と元の形に戻れない「紙の束」へと変貌させるギロチンのような機材である。
装丁家の魂が込められた背表紙を剥ぎ取り、きれいに製本された束を一枚ごとに分けるために、無慈悲な刃で断ち切るという行為は、私にとって単なる事務的な作業ではない。
「バサッ」というその乾いた音は、過去への決別を宣言する響きであり、その「決別の刃」を自ら振るうたびに、心臓を抉られるような痛みを伴うものでもあった。

延々と続くこの作業を、私は「これは“破壊”ではない、“昇華”である」と言い聞かせていた。物理的な束縛から解放し、電脳空間へ、その思念を移籍させる「ともだち」への最後の献身として手を下していたのである。

背表紙という犠牲を払い、バラバラになったページをスキャナーのトレイにセットする。
ローラーがそれを一枚、また一枚と、恐ろしいほどの速さで飲み込んでいく。
その駆動音は、過去の私を未来の私へと送り届ける、静かで力強い時代の鼓動のようにも聞こえた。

薄紙に灯る、若き日の熱量

このデジタル化の作業の最中にこそ、その「魔法」の真価が発揮された。
スキャナーのローラーに次々と飲み込まれていく「ともだち」たち。読み取りを終え、紙片となって吐き出されたページに、予期していなかった「面会」があった。

もう何年も手にすることのなかった本。
ふと目に入ったページには、あの時代に感銘をうけ、思わず赤いボールペンで二重線まで引いたフレーズが残っていた。
興奮のあまり書き殴った共鳴、鉛筆で記された自分なりの解説や、稚拙な反論。当時の私にとって、その一節が世界を変える真理であったことを、書き込まれた「熱量」が雄弁に物語っていた。

中には、ページ全体が波打っているものもある。おそらく学生時代、俄かに遭遇した夕立に濡れてしまった痕跡か。コーヒーをこぼした大きな染み、栞代わりに挟んだ映画の半券、とうの昔に枯れて色のない押し花。
それらはすべて、書籍の内容とは直接関係のない、私の人生そのものの「栞」である。

私にとって、このデジタル化の作業は、単なるデータの移行ではなかった。
それは、当時の自分自身が何を考え、何に心を動かされ、何を疑問に思っていたのかを、克明に映し出す「記憶の回廊」を、ゆっくりと歩くようなものだったのかもしれない。

そんな“とっておきの思いで”との面会時間こそが、長き歳月を経てきた『人生の答え合わせ』でもあった。物質的な「ともだち」との決別の時間は、「ともだち」あるいは「若き日の自分」との再会の時間でもあった。

知識の星々、掌に銀河を抱く

かくして、どうしても手放せない記念碑的な初版本などは残し、1,800冊を超える蔵書のデジタル化作業を多くの週末を費やして終えることができた。

物理的な解放感は、想像を絶するものであった。部屋を圧迫していた書籍の山は消え去り、広々とした空間が清々しい。
そして、そのすべての知識、すべての思念、すべての「ともだち」は、手のひらに収まるタブレットの中に、たったひとつのストレージとして収まったのである。

かつて、ウォークマンの時代から、私たちは音楽を聴く体験を激変させた。
重くかさばるレコードやカセットテープ、そしてCDアルバムは、やがてポケットに数千の音楽を持ち歩く「iPod」へと集約されたように。書籍もまた、その道を歩むことができる。

カバンの中からタブレットを取り出し、読書管理アプリを開いた瞬間、
そこはもう私だけの図書館だ。
ベッドの中でも、旅先の機内でも、あるいはカフェの片隅でも。
物理的な重さも、光の加減も気にすることもない。

ページを捲る行為は、スワイプに変り、
インクの匂いの代わりに、バックライトの光を浴びる。
形は変われど、そこに宿る思念の価値は、変わることはないのだ。


賛否はあるだろう。
ただ、人生に指針を与え、寄り添ってくれた書籍たちが、
リサイクルされ、ぞんざいに扱われてしまうことへの、私のささやかな抵抗でもある。

人生で道に迷ったとき、目指すべき星を見失ったとき、傷つき疲れ切ったとき
記憶の検索機能を働かせ、人差し指で画面をたどっていけば、
いつだって、どこでだってで「ともだち」が両手を広げて待ってくれている。
それはまさに、掌に知識の星々、銀河を抱くような自由と安心感である。

そんなふうに思えるだけで、心が強くなれる。
あゝ、なんと、いい時代になったものだ。

これは、電脳時代に迎合した物語ではなく、
スキャナーという「魔法の杖」に救われ、過去と未来に自由を手に入れたた男の
切実なおはなしである。

RICOH

ScanSnap iX1600



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